DQNにやられた話
とある日の話
DQNの子に被害を受ける
そう遠くない日の話であるが、DQNの子に我が子が被害を受ける出来事が起きた。
我が子は、被害を受けそうになった時に、何度もそのDQNの子の男児にやめるように訴えた。
しかし、その訴え虚しく、DQNの子の男子(主犯A)と、DQNの子他2名(共同正犯B、C)が娘に暴力的行為を行い被害をうけることになった。
学校へ連絡
子供が帰ってきてから大泣きするので、事の経緯を聴取し、先生間の共有を考えて書面にて連絡を行った。
先生からは、該当児童に対して聴取後に注意及び、親への連絡を速やかに行ってくれた。
これに関しては、感謝の念である。
しかし、問題はこれからだった。
先方の親の対応
学校から犯人A~Cの親に連絡をしてくれたのだが、共同正犯Bもしくは、Cの親は素直に謝罪をしたそうだ。
共同正犯のいずれかの親は、電話に出なかったようである。(おそらく普段から学校の電話には出ないと決め込んでいるのであろう)
主犯Aの親のバックボーンを先に紹介しておこう。
高校中退、子供は複数いるがいずれも子供の父親は異なる。離婚再婚を繰り返し、常に男を求めており、彼氏が欲しいが口癖。仕事も転々としており、1日で退職も多い。そのDQN親の親も片親で似たような境遇である。
その主犯Aの親であるが、SNSに学校から注意された事について書き込みをしていた。
論点がずれずれの負け惜しみの様なコメントがそこには書かれていた。
子供のした行為に対して謝罪の意思など微塵も持ち合わせていないようである。
『この親にしてこの子あり』『カエルの子は、カエル』という言葉しか出てこない。
カテゴライズして決めつけるということはしたくないが、そういった人種として扱わないといけないなと思わされた。
ここで主犯Aの親が、適切な注意を子供に行えば、きっとこの子供は負のDQN連鎖から抜けることができたかもしれない。
残念ながら、主犯Aの親をたしなめる大人が主犯Aの親の周りにはいないというのが現実だ。
その主犯Aの親は、何にでも反抗することがアイデンティティになっているように思える。
アドバイスと注意と警告を全て一緒に考えて、とにかく反抗してきたのだろう。
その主犯Aは、就学前から集団行動の和を乱すことで有名であった。しゃべりかけてもいつも上の空で、集中力が無いのである。また、注意をされても理解をしているような感じがしないのである。
体型も親子共々、栄養を考慮していないのであろうか、安価な高カロリー製品を多量に摂取しているであろう体型になっている。
恐らく、この主犯Aは、我が子含め、我が子以外にも犯行を犯していくことになるであろう。
申し訳ないが、彼の人生の進む道は、DQNの中央を突き進んでいるようにしか見えないのだ。その先に待ち受けるのは貧困であろう。
小学校での情報が中学へ上がり、中学では内申点が恐らく最低の部類に属する事になり、高校へは最底辺もしくは、入学できない、できても中退。転職を繰り返し、貧困になるか、アウトローな道へすすみ逮捕。老いたところまで生きれるなら生活保護という人生が目に見えている。
主犯Aの親を見て思うのが、人の言葉が理解できていない。言語能力が著しく低い印象を受けるのである。
そして、DQNの一種の特徴であるが、敵か味方というキャラクター付けを周囲の人に行い、敵とみなした人が発言してくる言葉は全て自分への悪口として認識をしているのだ。
また、主犯Aの子育てであるが、子育てといよりも見ていて思うのがペットに似た愛玩的な可愛がり方なのである。恐らく、男と男の間をつなぐ依存的な関係なのであろう。
その主犯Aは、男が切れている時は割合に問題行動が減るのである。そして今は、ご想像にもれず男がいるのである。
感情的にならないように
こういったDQNであるから、感情的にならずに今後接していかなければならない。
正直、主犯Aの親が反省して指導を怠っていることを正してやりたい気持ちではあるが、恐らく無駄であろう。
彼女達DQNの最大の強みは失うものが少ないという所だろう。なので、逆恨みが容易なのである。
理性よりも本能が優先する人種とはまもとに付き合わない事が一番である。次なる被害が出ないように、学校、地域、他の父兄と連携してこちらが防御していくしかないのだ。
あれ、この方法って・・・、不審者からの防御と一緒じゃないか。これ以上は言わないが
最後に
モヤモヤが止まらないが、長いスパンで見て、対策を講じていかなければならいと決意した日になりました。
こんな愚痴の様な記事を最後まで読んでいただき本当に、本当にありがとうございます。
書くことですっきりすると思いましたが、しませんでした(笑)
そりゃ子供が被害受けてるもんね、一生すっきりしないだろう。
以上、DQNにやられた話でした。